平田剛志 H IRATA Takeshi

映像的、あまりに映像的

平田剛志

 PCの電源を入れる。昨晩夜7時からのプロレス番組で見た見事なスープレックスを誰かと話題にするように、遠く離れた1年前の出来事を書くことは、過ぎたはずのtimelineがtimelakeになることだろうか。

 「timelake」とは、アーティストの福田真知が企画する「時間」をテーマとした展覧会シリーズである。福田は「timelake」という言葉について、タイムラインとしての時間に対して「"みずうみ"のように時間が溜まり、あらゆる方向に流れ揺らぎながら混ざっていくような時間のあり方」と定義している。つまり、「時間」を流れ過ぎる川ではなく、みずうみのように「溜まり」「揺らぎ」「混ざる」あり方として捉えているのである。  それはまた福田作品の特徴でもある。福田は、物質や映像を切断・加工・編集することを通じて、タイムラインとは異なる時間軸・時間層を視覚化した作品を制作しているからである。例えば、ひとつの枝を複数に切断し、アトランダムにつなぎ合わせた《ニュータイムライン/グレードエスケープ/枝》(2013)、女性の後ろ姿を撮影した写真を重層的にレイヤー加工した映像作品《jewel》(2012)などでは、複数の瞬間・時間を「みずうみ」のように積層・構成させた静謐な時間イメージを見ることができる。

 このような「timelake」の概念は、福田のキュレーションにおいても反映されている。「timelake 時間の湖」は、2015年3月3日(火)〜3月15日(日)に京都・KUNST ARZTおよび新風館の2会場において展示・上映された。KUNST ARZTでは、写真、映像、平面、立体作品などが展示され、新風館会場では野外の大型LEDビジョンを使用し、映像作品が上映された。以下では、展覧会開催から1年を経て、「時間の湖」とは何だったのかをKUNST ARZTの展示作品を通じて考察を試みたい。

 「timelake 時間の湖」のKUNST ARZT会場では、柵P茉莉子、楢木野淑子、福田真知、藤安淳、芳木麻里絵の5名の作家による展示が行われ、作品制作の時間を可視化・視覚化した作品が特徴的であった。  柵P茉莉子の「木を縫う」シリーズは、自然の木材片の年輪に沿って金糸を縫う作品である。一見すれば縫う行為はタイムラインのように、始点と終点のある営為である。だが、柵Pの作品制作においては、素材となる樹木の年輪や形状によって、直線的ではない縫いをせざるをえない。また、金糸を木に縫う刺繍行為は、繊維産業における流れ作業とは異なり、手作業によって縫う時間を封じ込める営みであり、視覚化でもあるだろう。

楢木野淑子は、過剰なまでの装飾性、色彩に満ち溢れた山型の陶作品《その地点》(2015)を出品した。この作品においても、緻密な紋様や色彩など作品制作に費やされた長大な時間を感じさせるが、鑑賞においても「時間」が前景化されている。本作は山型の形状であるために、作品を一望することができず、図像はその緻密さゆえに近づかないと色彩やかたちを把握できない。この円柱状の作品が有する遠近感や距離感は、映像装置の始原に位置する回転のぞき絵のゾートロープやプラキシノスコープ、光学玩具の万華鏡を思わせもする。ゾートロープは縦にスリットが入った円筒形の装置の内側に連続写真のように描いた静止画を並べ、回転させてスリットから覗き見ることであたかも動いているように見える器具のことである。これは当時「生命の輪」「生きている輪」とも呼ばれ、その後にフィルムや映写機の円環構造へと繋がっていく。楢木野の作品は、鑑賞者がゾートロープや万華鏡のように変転し揺らめく紋様を映像的、身体的に鑑賞する作品といえるだろう。

 芳木麻里絵は、日常的な服やタオルなどを素材にしたシルクスクリーン作品《Towel #04》(2015)、《Cloth #02》(2014)、《Knit #04》(2014)の3点を出品した。一見して「版画」らしからぬ立体的な厚みは、インクを何百回と刷り重ねた時間の積層であり、インクという「みずうみ」の厚みである。この「みずうみ」の底には、写真やスキャナーでパソコンに取りこんだ画像がもとにある。芳木は、それらの画像をPC上で画像処理を行なってからシルクスクリーンの原版を数十枚作成し、インクを刷り重ねていくのである。二次元イメージが三次元へ立ち上っていくこのプロセスは、イメージに物質という厚みを加えていくプロセスでもある。映画のスクリーンには非物質的なイメージが投影されるが、芳木の「シルクスクリーン」に投影されるのは物質性のある映像的イメージなのである。

 藤安淳の《empathize》(2014)は、双子を撮影した2点組のポートレイト写真である。自身も双子である藤安は、双子であることのアイデンティティと向き合った写真作品を制作してきた。藤安にとっての双子の課題とは、「自分に似た存在が知らないうちに自分として認識されている世界」と向き合うことである。そこで、藤安は双子を二人一緒に撮影することはせず、個々に撮影、並置して展示した。それによって、双子を1つのタイムラインではなく、双子それぞれの平行しつつも異なる時間(timelake)を提示するのである。また、藤安は新風館会場では吃音の友人をインタビューした映像作品《Y氏の場合》(2015)を出品した。吃音もまた双子のように、自分の声が他者の声・発話として認識されることである。藤安は、自分のようで自分ではない身体や時間と向き合い、アイデンティティを揺るがすのである。

 以上、「timelake 時間の湖」の出品作品を振り返って気づくのは、作品に潜在するさまざまな「時間」がみえる映像的な視点(キュレーション)であった。と同時に、作品やその制作プロセスに物質性や身体性が見られることである。それは、作家たちが通常とは異なる制作技法を試みたり、素材を使用することで、一方向に流れる時間をせき止めたり、迂回するような方向を選んでいるからであろう。 現代では、映像をはじめ情報から仕事、コミュニケーション、会話まで、流れるような「時間」が求められている。だが、本展があきらかにしたように、時間とは滑らかに一方向に「流れる」だけではないだろう。むしろ私たちは、時間が遅延したり、止まったり、迷ったり、瞬間的だったりする多様な時を過ごしているはずである。淀みなく一方向に流れる映像的な「時間(timeline)」ではなく、多方向に時間が流れ、混ざり、揺らぐ「時間の湖(timelake)」を見つめること。それは何度もどもり、くり返し描き、消し、刷り、縫うことかもしれない。だが、「みずうみ」という固有の場所(生態系)にその行為や時間が積層していくことは、明日の誰かとの一部になるための一滴でもあるだろう。明日、この「みずうみ」にはどんな映像(影像)が見えるだろう。

(2016年3月24日改訂)

京都国立近代美術館研究補佐員
1979年東京生まれ。2004年多摩美術大学美術学部芸術学科卒業。2014年立命館大学大学院先端総合学術研究科修了。専門は近現代美術史、視覚文化論、吉田初三郎の鳥瞰図。アートウェブマガジン「カロンズネット」の編集・ライターを経て2012年より現職。関西を拠点に、美術批評、キュレーションなど幅広く活動を行なっている。

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